緊急事態条項
Emergency Clause
緊急事態条項は、テロや災害などの緊急事態に際して、一時的に政府や国会に強い権限、いわゆる国家緊急権を与える根拠となる法令規定である。日本国憲法に国家緊急権規定があるかどうかについては見解が分かれている。ないとする立場には、改正によって規定すべきだという主張と、国家緊急権の憲法規定自体の必要性を否定して規定のないことを積極的に評価する意見に分かれる。一方で日本国憲法54条2項の参議院の緊急集会条項を以て日本国憲法が国家緊急権を規定しているという解釈がある。同項は、衆議院解散時に選挙が行われていない段階で緊急事態が起こった場合に、国会の機能不全回避のため内閣が召集した参議院が代行措置を取ることを規定している。日本は衆議院と参議院による二院制を採用しているが、衆議院は参議院に対する優越的権限を有し、衆議院には解散があるが参議院にはない。なお、用語において「緊急事態」と「非常事態」の混在が見られるが、ここでは「緊急事態」に統一する。
自民党は東日本大震災の翌年、2012年に発表した憲法草案で「緊急事態」と題した章を新設した。この憲法草案では、緊急事態においては国会を通さずに内閣が政令の制定を、内閣総理大臣が財政支出の決定や地方自治体の長への指示を行う権限を有する。その後、自民党が2012年12月に政権を奪還、第二次安倍晋三内閣が成立した。安倍政権は2020年までの長期政権となり、繰り返し緊急事態条項新設を訴えたが、自民党案による同項は総理大臣に過度の権力を集中させ、国民の権利を不当に制限するとして根強い抵抗にあった。2020年に発生したCOVID-19によるパンデミックは、緊急事態条項への人々の関心が再び高まるきっけとなった。緊急事態を宣言する権限は内閣総理大臣に与えられており、これまでの宣言は、警察法、災害対策基本法、新型インフルエンザ等対策特別措置法などが根拠となってきた。2020年のパンデミックの際には、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法により緊急事態宣言が出された。これにより、都道府県の知事は、一部私権を制限する措置、すなわち臨時医療施設開設のための土地・家屋の同意なしでの使用、医療品など物資の収用・保管命令などが可能になった。一方で、私権に配慮し休業などについては強制力のない要請ベースになったことから、緊急事態において国により強力な権限を求める声が政府内外で高まった。一方で、安倍政権がパンデミックに乗じて緊急事態条項新設を足がかりにかねてから掲げていた憲法改正に着手するのではないかという警戒も強まった。
なお、憲法改正を推進する保守系団体による提言には、緊急事態条項の新設と共に緊急事態における、国民の国防義務(「新憲法制定促進委員会準備会」)や国及び地方公共団体に国民が協力する責務(「たちあがれ日本」)などを盛り込むものがある(両団体の文書では「非常事態」表記)。背景には、日本国憲法が過度の個人主義を助長し、家族といった伝統的社会や国家の紐帯を破壊してきたという保守主義による憲法批判がある。