制定過程

Legislative Process

日本国憲法は日本国民が主体的に制定したのか——日本国憲法の制定過程をめぐっては論争が続いてきた。占領期にGHQが起草した経緯から、日本国憲法はアメリカによって与えられた、あるいは押し付けられた、ゆえに重大な瑕疵があるという主張がある。この主張に立つと、日本国憲法の文体(とりわけ前文)が翻訳調で日本語として不自然であり、日本国民は自ら憲法を書き直すべきであるという自主憲法制定論に帰結する。この押し付け憲法論の反論には、日本国憲法が大日本帝国憲法の規定に則し議会での審議と可決を経て制定されたことや、世論調査が当時の国民の多くが新憲法を歓迎したことを示すことを指摘するものがある。また、長年の運営を以て日本国憲法は主権者である国民に追認された、あるいは積極的に選択されたという解釈もある。

日本国憲法は大日本帝国憲法第73条に基づき、同憲法を改正する形で制定された。GHQの草案を元に日本政府が作成した「憲法改正草案」は衆議院及び貴族院で賛成多数で可決された。その間に草案は両院の委員会に付託され、その際に日本側とGHQ側の双方から修正が加えられた。押し付け憲法論では、GHQの言論統制を指摘し、当時の議会と世論による承認の正当性を疑問視する。なお憲法学的には、国民主権の原理採用を要求したポツダム宣言(12項)を受諾したことを、国民が主権を獲得した法律的な革命と捉えるこで、日本国民自らが日本国憲法を制定したとするいわゆる八月革命説がある。憲法学者宮沢俊義が提唱した八月革命説は、日本国憲法無効論の根拠とされた憲法改正限界説への反論であった。憲法改正限界説とは、欽定憲法であった大日本帝国憲法から民定憲法である日本国憲法への改正は憲法改正の限界を超えるという解釈である。