松本烝治

MATSUMOTO Jōji

1977年、東京生まれ。商法を専門とする法学者。1945(昭和20)年に発足した幣原喜重郎内閣で国務大臣を務め、憲法問題調査委員会(通称松本委員会)の委員長として、憲法草案の作成にあたったことで知られる。同草案は、内容が保守的過ぎるとGHQに受け入れられず、以降、憲法草案の起草はGHQの主導で行われることになった。

1900(明治33)年に東京帝国大学法科大学を卒業後、農商務省に入省し、1910年に東京帝大教授に就任。1913年より法制局参事官を兼任。1919年に大学を辞し、満鉄(南満洲鉄道株式会社)副社長、法制局長官、商工大臣を歴任。1946(昭和21)年、満鉄での経歴を理由に公職追放となる。1954年に76歳で亡くなる。商法を中心に多数の著作を執筆した。また、日本で先駆けとなる企業法務専門の法律事務所を設立し、弁護士としても活躍した。