浅尾慶一郎、山本一太
ASAO Keiichirō, YAMAMOTO Ichita
当時、民主党と自民党所属の若手参議院議員であった浅尾慶一郎(民主党)、山本一太(自民党)は、連名で雑誌『中央公論』の2001年1月号に憲法改正を提起する論文を寄稿した。
浅尾は1995年に新進党の選挙候補者の公募に応募、日本興業銀行を退職して政界に入った。新進党は1994年の自民党・社会党・新党さきがけによる村山富市連立内閣成立を受けて下野した非自民・非共産の勢力が結集して作った政党であったが、1997年に解党。浅尾はその後、1998年に民主党に合流、同年の参議院選挙で初当選した。
山本は農林水産大臣、自民党参議院幹事長を歴任した父・山本富雄の死去を受けて地盤を引き継ぐ形で1995年の参議院選挙に出馬、初当選した。2019年に参議院議員を退職、群馬県知事選挙に出馬、当選。
同論文は提示する憲法改正案は、首相公選制導入とそれに伴う国民投票の規定などを骨子としている。主旨は、国民が首相を直接選び、国の政治的リーダーシップに国民のより直接的な支持が不可欠になるとことで、現代日本政治が抱える諸問題の改善が期待できるというものであった。浅尾、山本の両名は、国民の支持と信任を得ることが政治家の行動論理になることで、派閥政治の悪弊、議員の地元贔屓、そして業界とのしがらみを是正し、遅滞している構造改革も促進できると主張した。
その後、浅尾はみんなの党などを経て自民党に入党。その間、2014年に石原慎太郎・平沼赳夫らの周辺で発足した自主憲法研究会に参加。2017年、2021年の総選挙で落選も、2022年の参院選に当選、国政復帰を果たした。また、山本は自民党を離党し無所属で2019年の群馬県知事選挙に出馬(自民党・公明党推薦)、勝利し同県知事に就任した。